図書館の蔵書

図書館担当の先生から受け取った『研究集録』に興味ある記事をみつけたので紹介しておきたい。昨年の11月に開催された「司書研修会」の講演記録である。

午前に1本、午後に1本と2本の講演があった。午前は「高校図書館の分類と配架」という演題で、あるときは「本の探偵」、またあるときは「児童文学評論家」またあるときは「図書室の改装家」等々マルチな活躍をなさっている方の担当であった。

講演のテープ起こしで、結構笑わせていただいたが、「図書室の改装」の話から引用しよう。

「ぜーぜーいいながら五千冊廃棄します。この前の工業高校全部で一万五千冊廃棄したと思います。すごかったです、最初に五千冊廃棄しましたが、えっ、どこを捨てたのって思うぐらい本が減りませんでした。30年間一度も廃棄してなかった。司書がいなかったんです。只、いまは先生がすばらしくできる人で図書館員ではないんですがブックセンスがあって解説すれば何でもかんでも飲み込む。で、さっと教えると自分で動く。と言う覚悟で部下を使い、残業をし、残業手当ももらわないのにゼーゼーいいながら、○○子さん、あれ全部廃棄したら腱鞘炎になりましたと、誰にもほめられないのにやっているわけです。ほめられるどころか、何でそんなに捨てるんだと言って職員室で怒られながら、でも捨てなきゃいけないんです・・・」
「使えない本があっても意味がないんです。しがない高校図書館が県立の代わりなんかやらなくたっていいじゃないですか」

つまり、午前中の講師先生は、魅力ある書架にするには、まず、古い本を捨てようといっているのです。

午後の講演の演題は「調べる力、表現する力を育むために図書館にできること」で、前県立図書館資料奉仕部長がお話になった。おそらく、この先生は、午前の講演は聞いておられなかったのだろうと思う。聞いておられれば、以下のことをおっしゃるまえになんらかの断りがあったと思うのだが・・・。

「2 図書館の評価 貸出至上主義時代の功罪
   図書館の評価はここ数十年、貸出至上主義の時代でした。なんでも貸出さえすれば図書館の使命は果たされるという時代が長いこと続いていました。この時代のメリットは、よく読まれる本が多く図書館に収集され、図書館に来る人が増加したことにより図書館の数が増えたことです。800館ほどから3000館近くにまでなりました。ところがデメリットもありました。それはどこの図書館でも同じような本を置くようになり、貸出マシンのような司書の役割ばかりが強調され、司書の仕事は誰でもできるのではないかと思われるようになってしまいました。(略)
   では図書館は何によって評価されるべきなのでしょうか。公共図書館の場合は蔵書冊数だと思います。」

 午後の先生の意見は、公共図書館を県立クラスの公共図書館に限定していただければ、反対する部分はないのだが、聞いているのは、高等学校の図書館の人たちなのですから、高等学校図書館は何によって評価されるべきなのかに、ぜひとも、言及していただきたかった。午前の先生が「捨てろ捨てろ、改革は捨てることから始まる」と強調していた論点が、これではぼやけてしまうではありませんか。

 この「研究集録」 結構面白く読めたのは、この二つの講演記録が連続していたことにあったのだろうか。