私説・高等学校図書館論 4

先の土日月と3日間基礎的な数値も把握できないまま駄文を弄してきた。我ながらあまりにもひどすぎると思ったので、台風でもらった水曜日の休みに基礎的な数値を調べ、3日間の記事を以下のようにまとめなおした。

まず、全国に高等学校は5001校あり、4159校が司書教諭を発令している。内、発令が法により義務となっている12学級以上の高校の95.9%に当たる3930校に、当分の間配置が猶予されている11学級以下の高校の25.3%229校に、図書館の専門的な業務を行う司書教諭がいる。80%以上の高校に司書教諭がいるのだが、中には私が働いている高校のように発令はまったくの形式で実体のない高校もある。
また、司書教諭が図書館の仕事ができるようにと他の校務の軽減措置が取られているのは、全体のわずか13%に過ぎない。名目だけの発令がかなり多いといえる。このことは学校図書館法の精神を理解しない上に順法精神を欠いている教育界の悪しき風土に根ざしているのではないか。「当分の間」という当面の措置が50年も続いたその事実が、その風土そのものだと私は邪推する。

さて、以上のごとく、わが駄文は、書く側で処理しておくべきことまで表に出して、書きなぐる乱暴極まりないスタイルになってきた。本人は、原稿前の原稿だと遁辞を用意して書き続けるが・・・

「図書館が、ここに」という橋本紡の小説、ご存じだろうか?著作権フリーで、全国の「図書館だより」転載を歓迎している小説だ。詳説しておく価値があると思うが、そこは公式ホ−ムページ任そう。(この好企画、現在順調に動いているのであろうか?)http://www7.ocn.ne.jp/~tosyoko/

その小説、第一話冒頭
「ああ、ここなのね」
階段を上りきったところで、すっかり疲れた声が漏れた。校舎の見取り図を手にした時から覚悟していたものの、図書館はひどく利用しづらい場所にあった。校舎の一番上、四階建ての四階だ。ひたすら階段を上った終点が図書館だった。しかも四階にはこの図書館しかない。
まるで隔離施設のようではないか─。

一瞬、自分のところが、小説の舞台になっている、と思った。
 私の働いているところと違うのは、四階には、LL教室・被服室等の特別教室があることだけではないか? 
 そうか、高等学校図書館は「隔離されている」

2−3 学校図書館の本当の姿とは何なのか?

ここで、公共図書館界の話を乱暴にしておこう。1960年ころ、日本の市町村図書館は非常に貧しかった。その状態からの脱皮を意図して、1963年『中小レポート』が刊行された。これは全国12の図書館の実態調査とこれを補う60館近くの調査をまとめたものだが、単なる調査報告書ではない。調査を基礎に中小都市の(人口5万から20万の)図書館の運営指針を提案したものだ。その後各地で討議にかけられ、その結果として、『市民の図書館』(1970年)が生まれた。
 『市民の図書館』は、貸出・児童サービス・全域サービスの三本の柱を明確に打ち出し、具体的に貧困からの脱皮策を示したものとなった。
 40年後の現在、皆さまの町の公共図書館はどんな状態にあるだろうか?まだまだ足りないところがいっぱいあることだろうと思うが、住民の目から「隔離」されてはいないだろう。受験生しかいかない所ではないだろうと思う。

 残念ながら、私は学校図書館界の現状を知らない。全国学図書館協議会の機関紙「学校図書館」の1頁も読んだことがない。そんな私にも「学校図書館に人を」という声が一番強く聞こえる。(このことは、まだまだ貧しい状況にあると判断していいのだろう)

学校図書館公共図書館は違う。違うから安易に公共図書館の体験を持ち込むつもりはないが、もうひとつだけ、公共図書館の経験を話しておきたい。
それは、いまだに、公共図書館は義務設置ではないし、司書配置も義務化されていないということだ。
義務設置・義務配置の声がなかったわけではない。法改正の動きもなかったわけではない。それでもそうなっていない。私は、それでいいと思って来た。悪口をいう気持ちは全くないが、義務設置・司書教諭義務配置の学校図書館を反面教師にしてきたからである。
平成15年4月司書教諭義務配置から10年が経過した。その間に学校図書館にどんな変化が起こったか。司書教諭の活動実践例等がSLAほかの出版物やネット上にたくさんあると思うのだが、私は不幸にして多くは知らない。
その上ここに「学校司書」がクローズアップされて「学校図書館法の一部を改正法案」に明記されるというニュースがある。このことは、司書教諭が実際の仕事ができる状態にないことを公に認めることにはならないだろうか?

木も見て森も見て、鹿も見て山も見るのがよかろうかと思う。