私説・高等学校図書館論 3

「当分の間」の当分とは50年のことである」
こう言って恥じない人たちがいるのだ。悪魔とは、そのように邪推して恥じない私のことなのだが、「当分の間が50年だ」とは余りに酷い時間感覚ではないか、皆さま方よ。共にブ−イングしようではないか!!それとも、「当分の間とはおおよそ50年間をいう」と「大渡海」の馬締君に書いてもらおうか!
民主国家、それも世界に冠たる教育の国、日本の法律が、当分の間とは50年間だと言っているのだ。
ほかならぬ「学校図書館法」が、そう言っているのだ。賢者諸君よ。

学校図書館法は昭和28年に制定された。(施行は29年4月だから1年減じてもいいが) その5条第1項に、「学校には、学校図書館の専門的職務を掌らせるため、司書教諭を置かなければならない」とある。現行の法律と同じである。問題は、その付則の2にある。
2「学校には、当分の間、第5条第1項の規定にかかわらず、司書教諭を置かないことができる。」と。
司書教諭の養成に時間がかかるための経過措置規定であったのだが・・・。

時は流れて・・・。

平成9年6月11日に『学校図書館法の一部を改正する法律』が公布・施行されて、件の付則は
2(司書教諭の設置の特例)
学校には平成15年3月31日までの間(政令で定める規模以下の学校にあっては、当分の間)第5条第1項の規定にかかわらず、司書教諭を置かないことができる。
と改正された。
昭和28年(1953)から平成15年(2003)まで、実に50年の月日がむなしく流れたのである。皆さま方よ。賢者諸君よ。(11学級以下の小規模校ではさらに50年という当分の間が続くというのか・・・)

実は、私の中に大きな逡巡がある。単純に表面に現れた事実だけで、文部官僚や現場の教員や政治家の無為無策を非難するだけでいいのだろうか?「当分の間が50年にもなってしまった」裏にどんな事実があったのかを浮かび上がらせる努力をしなくていいのだろうか?という逡巡である。

この50年もの時間の流れのなかで、文部官僚の何人かは涙を流した、代議士の何人かは必死に動いた、学校図書館関係者も歯ぎしりを繰り返した、こんなことが皆無だったとはとても思えない。「学校図書館法成立史」や「学校図書館法改正運動史」を紐解いて学ばなくてはならない。そんな声が、私の中にもあるのだ。

○昭和28年の学校図書館法の成立前の原案には「当分の間」は存在していなかった。
○例の吉田茂のバカヤロー解散で通過するはずだったその原案がいったん消えてしまった。
○同法案は超党派議員立法だったが、主に野党の議員が動いていた。そのせいか政権からはよく思われていなかったので、再提出までの間に「当分の間」が付け加えられた。
○原案提出に尽力した民間の有力者が贈賄罪で逮捕され有罪判決が下された。
成立当時だけでも、このような事実があったと聞く。それらを調べあげて、学ばなくてはいけない。

それから、平成9年の改正までには、さらに多くの人や団体の苦闘の歴史があったに違いない。

それでも結果的に、私は、それらに目をつぶり、
「民主国家、それも世界に冠たる教育の国、日本の法律が、当分の間とは50年間だと言っているのだ。
ほかならぬ「学校図書館法」が、そう言っているのだ。賢者諸君よ。」と、
ふざけた言い方をした。そこで自分を悪魔ということにしたのだ。(悪魔というほどの存在感はなく、単なる馬鹿でいいのだが、全体に戯文調をとることにしているので、空疎な大袈裟化は各所に出てくるだろうと思う)

2−2 学校図書館の本当の姿が見えているか?
  3000人を超える司書教諭の姿は、学校の生徒に、教員に、保護者に、どのようにとらえられているのであろうか?
私は12学級以上ある高校の図書館で5年以上働いているが、いるはずの司書教諭を見ていない。このような高校は例外的なのか、ほかにもあるのかは分からない。発令実態調査があるのかないのかも分からない。
分からないことを調べて明らかにする施設が図書館で、調べる援助をするのが司書なのだが、それが出来ない。やはり悪魔ではなく馬鹿だ私は。(調査の中で一番むずかしいのは「不存在の証明」=お調べの案件を明らかにできる資料は、この世には、今のところ存在していません」というほかない調査なのだが)。

 仮にとしておこう。司書教諭の姿が見えていないとするならば、図書館そのものは、誰の目に、どのように見えているのであろうか?

それは、また次の土曜日19日に。