分類と目録 職人が消えて

司書資格が軽い軽い資格であることは、残念ながら認めざるを得ない。その原因・理由は、いくつも考えられるが、根本は、図書館利用者である国民が、本当の図書館と本当の司書を知らないことにある。ひと言で言えば、図書館の社会的な地位が低すぎることにある。

それでは、それをどう改めていくか、そんなことをここに書く積りはない。

先日、図書記号のことを書いた。そこで、分類や目録を教えた、あるいは教えられたときの、つまりは図書館学教育機関の低レベルな実態の一端を述べようとしたが、述べなかった。基本的に教える側は、「こうするものなのです。早く正確に覚えてください」と教え、教わる側は「はい、そうですか。早く覚えます」と教わっていた。そこには、なぜそうするのかという、基本的な問いかけがなかった。教える側にも、教わる側にも・・・。若い世代は知らない。すくなくとも文部省の図書館職員養成所時代から、図書館短期大学時代の教育は、そんなものだった。

そして、司書のレベルが変化しないうちに、コンピュータの世界に変わってしまった。機械可読目録(この用語も古くなったが)が導入され、図書を検索する道具であった目録カードが消えてしまった。また、閉架から開架へと図書館の運営のあり方が変った。そして、分類し、目録カードをとる職人だった人たちが重宝がられることもなくなった。

できあがったMARCを購入しておけばOKの図書館ができあがってきたのだ。私はいま、MARCを購入する資力のない図書館で、一定のフォームに入力する形で、分類し、目録をとっている。

書名・著者表示・版表示・出版事項・対照事項の項目が、かって教育を受けたようには記述できないフォームだが、そんなことはどうでもいいが、別の入力項目がある。資料区分などがそうなのだが、これは、教育機関では教えていない。教育機関で教えた分類・目録でさえ、ナゼという部分が欠落していると述べたが、この資料区分は、もっと、ひどい。例えば私のところは、一般・寄贈・文庫・新書・絵本・マンガとなっている。マンガの本が寄贈されたときは寄贈にしている。なんのための区分なのかがわかっていない。どう活用していくのかの基本的問いかけをしないまま、フォームにあるから、ただ入力していく。私も、過去のデータを全部直す意欲がわかないから、まったく無意味な慣例にしたがっている。

司書資格が軽いのも、もしかして、こんな仕事を繰り返してきたからなのかも知れない。とくに、利用者が少なく、要望が少ない、職員も一人といった仕事が批判に曝される機会が少ない学校図書館などの現場は、どなたがやっても勤まる現場になっていそうだ。