図書委員のカウンター当番

今日明日は、学校も、当然図書館も休みである。この日記、いつもは、あわただしく夕食の前後に書いているので、書き忘れることも多くあるが、そこは老人性健忘症、忘れたことも忘れることがある。今日は、雨で暇なので、偶然思い出したカウンター当番のことを書いておく。

図書委員会の生徒が、昼休みと放課後のカウンター当番に2名くる。大半の生徒は、仕事に慣れきっている。去年も図書委員だったようだ。(1年生は、2学期から当番に加わるそうだ)。それ程沢山の利用者が押しかけるわけではないから、パソコンでゲームをしたり、二人でペチャクチャおしゃべりしたり、隠れたテーブルで残した弁当を食べたり、それは、それは、いろいろな生徒がいる。

初回の図書委員会で「昼休み暇だったら図書委員は図書館事務室へ集まっておしゃべりしよう。そのなかで、図書館の運営についてのアイディアを出し合おう」と言った担当教員も、今のところ毎日お出でになっている。図書委員が、何を目的におかれているのか私は知らないが、少なくとも、学校の教育目的の一翼を担っているのであろう。つまり、アルバイトの私の口出しするべきことはないし、してはいけないと思っている。

しかし、はっきり言えば、カウンターは私にやらせて欲しい。カウンターでの応対が私から見ると、乱暴というか、ぶっきらぼうというか、ただ、返却・貸出作業をやっつけるだけで、新一年生への気配りもない。さすがに「一年生だからちゃんと説明してあげて」とアドバイスしたりはするが。カウンター業務は、すぐれて専門的な業務だと私は考えている。ただ、そう主張できない。私のいた市立図書館でも、私の住んでいる市の図書館でも、専門家がカウンターにいるわけではない。全国の大半の図書館でそうである。つまり、図書館のカウンターは誰でもできるという「常識」ができあがっているのだ。この常識を撥ね退け、長年の学校慣行を無視して、カウンターを私に任せろとは言えない。いかに、専門家気取りをしていても、1年で契約の切れるアルバイトなのだ。カウンター問題は、1年だけの問題ではないのだ。

そして、なによりも、当のサービスを受ける生徒たちが、しょぼくれた爺さんの応対より、乱暴でも、ぶっきらぼうでも同年齢の生徒の応対を由としているのかもしれないのだ。私が、颯爽としたイケメン青年であるなら「カウンターをまかせていい」ということになるのかもしれないのだが、悲しいしょぼくれ爺である。

専門家かそうでないのか、問題以前の問題が、私にはある。かくして老司書は沈黙するが、カウンターの職員を通じて、利用者は、図書館とたくさんのコミュニケーションを、意識、無意識のうちに、とっているのである。ただ、本の貸し借りをするだけでない大きな働きが図書館にあるのだが、それは、また、別の機会に。