自前の学級文庫

以下は、私の別ブログからの転載である。先行した記事2つを省略しているので、少しわかりづらいが勘弁してほしい。


「ブッククラブ」学習会に参加したとき、時間があれば発言したかったことがあった。

それは、講師の発表の中に、出てきた自前の学級文庫に関してである。

小学校の5年生か、6年生の国語の時間が舞台。ねらいは生徒を読書好きにすること。ブッククラブはその方法の一つ。

そこで講師の受け持つ教室に学級文庫が登場する。教室の中に学級文庫を設置してるのだが、書架にして(写真を見せられたのだが3段低書架2連が6個以上あっただろう。冊数にして800冊くらいあるとおっしゃっていたのか?1800冊だったか、正確には記憶できていない)

これが、ほぼ、自前だというのだ。ブックオフの100円棚で調達したという。一気にではなく少しずつ増やしていったのだろうが、古い本は少ない。

そこに学校図書館の話が普通なら登場するはずだ。「学校図書館は、役に立っていない」という否定的な話であったとしてもだ。でも講師の話には登場しなかった。

学校図書館は、教師の授業を豊かにするために存在しなくてはならない。まさに、こういうケースに役立つために存在しているはずなのだ。

自前だということは、彼の学校の図書館は当てにできないのだろう。また、彼は、その図書館を役立つように変えていこうとする意欲をみせなかった。

これが、日本の現実なのだ。これが今後何十年も続く可能性があることが問題なのだ。意識して変革しようとしない限り変革していかない。心ある教師の頭のなかに学校図書館が存在していないことが問題なのだ。

現在の学校図書館には人がいない。金がない。、(高等学校には人がいる割合は高いが、授業に役立つ図書館にはなっていないのは小中と同じ)

だから、見捨てていてはダメなのだ。学校図書館を通じて、市立図書館の協力をもらわなくてはならない。市立がだめなら県立図書館に、県立図書館がだめなら、国会図書館国際子ども図書館を頼ればいいのだ。

貧しいからと言って利用しないのはよくない。学校図書館・市立図書館・県立図書館を育てるのは利用者なのだ。利用しなければ育たない。逆に言えば、役に立たないと見捨てている人が図書館を貧しくしているのだ。

そういうことを発言したかった。

彼は受け持つクラスが変わったとき、その自前の図書はどうするのだろうか?人事異動に連れて図書も移動するのであろうか?自分の教える国語の教材という括りのなかの話だと割り切っているのであろうか?

制度をしっかりとしない限り、こぼれていく子どもは救えないのではなかろうか?